京大生の受験術指南
〜受かる勉強法はこれだ〜

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予備校を休みがちになってしまったあきは、平日にのらりくらりとするようになりました。半ば現実逃避のように、受験のことは忘れてしまおうと、学校にもいかずぶらぶらする生活がつづきました。実際心が病んでいたのかもしれません。

大学に早く入って学びたいのに、来年の受験まで待たなくては大学に入れないのです。かといって受験勉強をやるにしても、再び復習をして単なるルーチンワークになってしまうのが嫌で、がんばる気にもなれませんでした。

そういう悶々とした日々がつづき、季節は夏になりました。

予備校では夏期講習がはじまり、徐々に、来年の受験に向けた熱気が周りから感じられるようになりました。しかしあきは未だ煮え切らない状態でした。いますぐに受験したい、なんで一年も待たなくちゃいけないんだ、と、そんなことばかり考えていました。

そんなある日、本屋でぶらぶらと本を物色していると、数学者の森毅先生の本が置いてありました。あきは以前からこの先生の、のんびりとした印象を受ける独特の雰囲気が好きで、いくつかコラムのようなものを読んだことがありました。そのとき置いてあった本は、『数学受験術指南』という新書で、タイトルを見てなんか面白そうだなぁと思い、買ってみることにしました。(実はこのHPのタイトルもこの本から取ってたりして)

いろいろと先生の受験当時の話などが書かれていて、興味深く読み進めていると、とても考えさせられる、ある印象的な言葉に出合ったのです。たしか「運良く大学に受かるということはあっても、運悪く大学に落ちることはない。」といった内容の言葉でした。

あきは、その言葉に強く衝撃を受けました。たしかにこれまで自分は、運悪く落ちたのだと、心の片隅で常に思っていた部分があったからです。しかしその言葉は、その思い込みを完全否定するものでした。

あきはその言葉が、何日間か頭の中をついてまわりました。運悪く落ちることはないとは、つまり、落ちたのは誰の責任でもない自分の責任なのだということをいっていたのです。そう、これまであきは落ちた原因をどこか心の片隅で、周りのせいにしていたのでした。あのときああしてなければとか、あの問題がこうでなかったらとか、あたかも自分には何の問題もなかったかのように自分以外に原因を見つけようとしていたのです。それがわかった次の瞬間、なんて自分はみじめなんだと思いました。とてもいやらしく汚い自分に気づきました。

この出来事があって以降、あきは考えを変えました。運悪くても受かれるくらいになってやろう、と。


それ以降、あきは受験に向けてのあらゆる訓練を積むようになっていったのです。何度も何度も、過去問を使って実際に入試を受けている状況をつくり、実戦を積みました。次第に解くスピードは速くなり、どの科目も制限時間の7〜8割の時間で解ききることができるようになりました。特に理科では継続して満点を取ることができるようになりました。

また予備校の講座にも、発展的な内容を扱う講座もあることを知り、それも受講したりしてみました。

こうして改めて、自分の中に成長の意思が無ければ、成長の機会も見えなくなるのだなぁと気づいたりしました。

そして、いよいよ受験のシーズンを迎えることになるのです。


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